【気ままにのんびり生活】


皆様初めまして。

オカザキと言います。

明るく生活していますが、パワハラを受け鬱になりました。

現在サラリーマン休職中です。
ゆくゆくは会社を辞めます。

鬱の話の前に軽く自己紹介させて頂きます。

東京都新宿生まれ、埼玉県朝霞市(陸上自衛隊の駐屯地がある小さい市です※いいとこ)
育ち26歳独身の男です。
趣味はアウトドアや買い物、友達と飲みにいったり、贅沢することです。
新しい者好きで常に財布の中身を気にして今まで生きてきました。

私は、大学卒業後、そこそこ大きい電気工事の会社に入社致しました。

その会社では主に、太陽光発電所の施行管理の営業のお仕事をさせて頂いており、
辛く厳しいこともありましたが、良いお取引様や暖かい上司に恵まれていました。

しかし、心のどこかで、このまま30歳になるまでこの仕事していたくないな、と感じることがありました。

何故かと言うと、給与面で納得いってなかったからです。

残業代で給料も他の方々(同い年の友人など)より多く頂いておりましたが、
お金をもらうために、あえて長く残業しておりました。
これでいいのかな?良くないことしているんじゃないかな?と感じつつ仕事をしていました。

よくないですよね。自分にとって何も利益にはなりません。

このまま働いていても気持ちのよい社会人になれないな、と思いました。
もし結婚して子供ができた時に胸張ってこれだけ残業してお父さんは稼いだんだぞ、なんてとても言えないな、と思いました。
小僧思考ではありましたが次の転職先も決めずに退職しました。

会社からは、もの凄い勢いで止めに入られましたが、止められれば止められる程退職意欲が強くなり、話し合いの末「やめる」と会社に表明し、そこから2週間で退職しました。


その後リクナビネクストやインディードなど他の会社を見て、とある不動産企業を見つけました。

「契約をあげたら契約を上げた分だけのインセンティブがボーナスで入る!」
「風通しのよい会社で上司がフォローに徹してくれる!」
「離職率が低い!」
「残業時間ほぼ0!」
「固定給31万円」

よっしゃ!これだ!と、
ここでめちゃくちゃ頑張って固定給で31万でインセンティブプラスして....ここしかない!
と手計算でしたが年収の目標まで立て、面接の約束までこぎ着けました。
ただ、一つネックがありました。
それは、転勤が非常に多い点です。

私は自慢ではありませんが、地元に数多く友達がおり、休みの前の日は絶対に友達と飲んで、
友達の家に泊まり、一日だらだらして夕方からまた友人と飲む、といった生活をしていたので、
その大事な友人と遊べなくなる、というのは断腸の思いでした。

天秤にかけた結果、やっぱり一人前の沢山稼げるサラリーマンになりたい、という思いの方が強く
泣く泣く地元を離れました。

人事の方も本当にいい人で、心の底から「この会社で頑張っていこう」とその時は思いました。

やってやるぞ。意気込みは半端ではなかったです。

面接の結果、ご縁を頂き入社させて頂きました。

入社して2ヶ月、初契約を頂戴しました。
幸先良いスタート切れたと思い意気揚々と次の転勤先である姫路に向かいました。

しかし姫路では諸々の理由で、接客はできず毎日ポスティング(チラシ配り)をするのみでした。
3ヶ月程ポスティングのみの仕事でモヤモヤした気持ちを抱えながら、長野県の諏訪に転勤となりました。

そこは超人気物件を扱う事務所だった為に、非常に契約を上げやすい反面すごく忙しい事務所でした。

ここから地獄が始まります。

社内で名の通った、超有名なパワハラ所長の事務所だったからです。

本来9:30の出勤時間を事務所の掃除を強制させられ、7:30に出勤
業務する上で必要以上の執拗な𠮟責、罵倒、人格否定、会話無視、賭けゴルフ、接客制限(接客をさせてもらえない状態)...
正直、人生で一番大変な経験でした。

結果胃潰瘍、血尿、心困反応を診断されました。
が、事務所には這ってでも行きました。笑

一度自分で「ここで稼いでやるんだ」と意気込んだので、どんだけいじめられても
絶対に頑張る!と決めていたからです。
断腸の思いで、地元からアンダーグラフのツバサを聞きながら出て行ったのに、
「いじめられたから帰ってきた」なんてださすぎて友達にとても言えませんよね。笑

最終的に私はその事務所で体調不良でグッタリしていたところ、
その姿が所長は気に食わなかったようで、胸ぐら掴まれ事務所から出て行けと言われ甲府の事務所に移動させられました。
もうその時はぼんやりとしてしまってあまり記憶がありません。

でも、解放されたんだ!と思ったのですが、
次の事務所ではいつキレるか分からない所長の事務所でした。

キレたら最後です。
椅子を蹴り上げ怒鳴り散らす、いきなりですよ。
電話している声が大きいとか、そんなくだらない理由でブチ切れする所長の事務所でした。

人間不信に陥りかけました。

そこでも、なんとか緊張の糸を張りながら仕事をしていました。
そこの所長は、酒癖の悪さでは定評があり、言い方が悪いですが、外面はまるで仮面を被ってました。

ただ、胸ぐらを掴んできた事務所の所長と仲が良い所長だったために、
そこでも接客させて頂く機会は少なかったです。
自分でやっと呼び込めたお客様にも接客の機会を頂けませんでした。

契約が上がらない→お客様に電話→嫌がられる
最悪のサイクル、最悪の環境続き。。。

接客ができない=契約が上がらない、
なので勿論、事業部長も毎週電話で詰めてきます。

接客ができるタイミングといえば、絶対にマイホーム購入を検討していないお客様など。

「なんで契約が上がらないんだ」
「お前は会社でいる意味がないと話題になっている」
「次の月契約が上がらなかったら、もう、わかるよな、どうなるか、あ?」
 など。。。
書いているだけで辛くなりますね。

今考えるとその時から少しおかしくなってました。

出勤する車の中で意味もなく涙がこぼれたり、
食欲がなくなり、ボーッとしたり、スキャンするところをコピーするような注意欠陥が多くなってきたり、、、

その時から鬱になりかけてきてたのだと思います。

一日の仕事している中で何度も何がなんだか訳分からなくなることがあったり、
お客様に一件電話するだけなのに冷や汗ダラダラでかけていたり、
自分の理想からかけ離れていく自分の姿を、一人になった時に責めていました。

丁度その頃、仲の良かった事務員さんから聞いたのですが、
私は陰で所長に「障害者」といわれていた様です。
聞いたとき、本気で呆れました。
言っていいこと、悪いこと、あるんじゃないかと。
40代の所長に本気で怒りを覚えました。
この会社に付いていきたいと思う人間はいないと、心底思いました。

そして、突然の事務所内での人事異動。
いつキレるかわからない所長から、何にも怒らない所長に、突然変わりました。

どんなことをしていても、何をしていても何も怒らない、おだやか〜な人が所長に変わりました。

そうすると、不思議なんですね。

私は鬱症状が悪化しました。


最初は頭が重くなりボーッとする時間が長くなり、
身体が動かなくなります。
何をするにも億劫で常に離島に行きたいと思う様になりました。笑
離島ってと思うかもしれませんが、これが本当なんです。
離島に行って誰にも目につかないところで生活したいと思っていました。

丁度その頃、私以外の社員が社員旅行に行き私も連休に入ったのですが、更に鬱症状が悪化していました。

体がおかしくなっていく一方、どうにかしてお客様にアポを切らなければと休日出勤。
事務所に着いてもボーッとしてしまい、また自己嫌悪。。。

どうしても身体が動かなくなり、家の近くの心療内科に行きました。

診断は、適応障害
エチゾラム1mg 朝昼晩 寝る前ジアバゼムが処方されました。

エチゾラム1mgは結構強い方みたいでした。
ある日私はワイン2本とストロングゼロ500ml4本飲み、エチゾラム1mgを8錠飲み記憶のない中、自殺未遂をしようとしてたようです。

お酒で記憶がない中自分でやったんでしょう。
ドアノブにベッドシーツが結びつけられており、丸い輪っか、トイレには戻した後、
起きて記憶が戻った後、泣きながら片付けをし、実家に電話し、実家に戻りました。

長い間自分の心のキャパシティをずっと超えた状態、これが私の鬱のはじまりでした。

今でも鬱症状がたまに出ますし、向精神薬ではなく抗うつ薬を飲んでます。

朝昼エチゾラム1mgと寝る前にミルタザピン15mg×2錠+エチゾラム1mg

正直、26でこんな薬飲むなんて、と抵抗はありました。
ですが、いまは治療していくことが第一だと思い、普段何もせずこれを飲んでます。


また、今は適応障害から鬱と診断されました。

もし今この記事を見ている人で、仕事がキツイと思っている人がいるなら冷静に、今自分は心のキャパシティを仕事が超えていないか、考えてみてください。

今の世の中、バイトさえすれば一人でも生きていくことができます。
月に10万、20万すぐに稼げるんです。
社会人という枠に捕われてしまった自分が自殺未遂までしてしまったので、
辛い思いをされている方がいたら、ほんの助けにでもなれたらと思います。

最後になりますが、なぜ自分がこのサイトを作ったのか、という所です。
「人に雇われてお金をもらう」から「自分でお金を生み出す」人間に変わりたかったからです。
その第一歩がこのサイトです。

精一杯やっていこうと思います。宜しくお願い致します。